エコツアーサイト 防予諸島

 

広島湾の入り口、安芸灘と伊予灘の境目に位置する防予諸島(ぼうよしょとう)は、東西の多数の島嶼部からなり、瀬戸内海で最後に残された橋の架からない諸島です。防予諸島には多くの瀬戸や水道があり、強い潮流と大きな渦潮の発生により作り 出された複雑な海底地形は、豊かな水産資源を支え、海洋哺乳類スナメリの生息・繁殖の場となっています。
その中の周防大島は瀬戸内海国立公園の西側に位置します。平成25年に瀬戸内海 国立公園海域指定された海域には、世界最大規模のニホンアワサンゴの群生地もあります。周防大島の地家室と外入を結ぶ古道・往還道から望む景色はまさに絶景。瀬戸内海の多島美を堪能できます。また、現在は無人島となった「大水無瀬島(おおみなせじま)」では、無人島体験として原始的な植物や野鳥や火山島の溶岩塊の観察を実施しています。

 

(アクティビティの構成や内容・航路・着船地についてはツアー開催時に決定します。)

  

アクティビティ

スナメリ・ウォッチング

絵馬拝見

シーカヤック

潮流体験

ニホンアワサンゴ水中観察

海上からのジオツアー

専門ガイドによる歴史解説

無人島体験

ジャムズガーデン見学

古道・往還道トレッキング

地元食材を使った食事

みかん狩り


周防大島

周防大島(すおうおおしま)は、山口県東南部に位置する瀬戸内海で3番目に大きな面積を誇る島で、大畠瀬戸に架かる大島大橋によって本土と繋がれています。年間を通じた温暖な気候により「みかんの島」として有名で、自然環境に恵まれた人情あふれる島です。また、歴史・文化も豊富でシーボルト上陸記念碑や民俗学者「宮本常一」の記念館、戦艦陸奥の記念館等があります。


海域には、瀬戸内海の生態系の頂点に位置する「スナメリクジラ」が生息しており、エコツアーではクルージングでウォッチング・ポイントに向かいます。(当協議会のデータに基づいてスナメリが出現しそうなポイントに向かいますが、必ずスナメリを見ることができるわけではありません。)また、南沖合の地下室(じかむろ)~小水無瀬島(こみなせじま)には、日本一の「ニホンアワサンゴ」の群生地があります。ニホンアワサンゴ・ウォッチングでは、ダイバーさんに潜水していただき、水中カメラで撮影したライブ映像を船上モニターで観察します。


周防大島の地下室(じかむろ)から外入(とのにゅう)をつなぐ古道・往還道は絶好のトレッキング・コース。豊かな自然の中に歴史と文化が融合しています。古道・往還道にはロマンある昔話や怪談も多くあり、道中にはいわれのある奇岩も残っています。



忽那諸島

 

忽那諸島(くつなしょとう)とは、愛媛県の中島(なかじま)、睦月島(むづきじま)、野忽那島(のぐつなじま)、怒和島(ぬわじま)、津和地島(つわじじま)、二神島(ふたがみじま)と山口県の柱島(はしらじま)を称し、中世これらの島々を水軍が支配していました。また、忽那水軍が采配をとった黒岩城跡があります。頂上の周りは木々に囲まれていますが、見晴らしはよく、忽那水軍にとって絶好の場所だったところです。黒岩城跡で、忽那水軍が見たであろう景色をご堪能下さい。


情けの瀬戸

周防大島と情島の間の海は、流れが急で、複雑な潮流や、波が見られます。別名、串ヶ瀬瀬戸と言われてています。大潮時に約4ノットの潮流が発生します。隣の「諸島」と「情け島(なさけじま)」との間は大潮時に約6ノットの潮流になりこちらも中々複雑です。また、諸島付近ではその潮の流れのためか、湧昇流(ゆうしょうりゅう、海水の上昇運動)が発生します。

複雑な潮流を、目で、耳で、体で味わってください!

 


野忽那島

野忽那島(のぐつなじま)は松山市の北西海上に連なる忽那七島の一番東に位置する周囲6kmほどの島です。僅かな耕地と小規模漁業での不安定な生活は幕末の頃になると大工や左官などの出稼ぎ職人を生むようになり、またお隣の睦月島(むづきじま)で発祥した反物行商は大正から昭和20年代にかけてこの野忽那島でも活況を呈し、後半には睦月を凌ぐほど盛んになったといわれています。
しかし、大戦とその後の高度経済成長によって行商は急速に衰退し、現在は過疎と高齢化がすすみ、近海での漁業と山の斜面を利用した柑橘類の栽培が島の経済を支える島となっています。


中島

松山市の沖合に浮かぶ忽那(くつな)諸島の島々の中で一番面積が大きく、人口が多いのが中島(なかじま)です。歴史は古く、奈良時代には法隆寺領の荘園として「骨奈嶋」、平安時代には牛馬の放牧地として「忽那嶋」の名が見え、中世に記された『忽那嶋開発記』によれば藤原道長の後裔親賢がこの地に配流され、その子親朝が寛治年間(1087~94)に忽那諸島を開発したとされています。南北朝時代から戦国時代にかけて豪族忽那氏が勢力を振るう拠点となりましたが、秀吉の天下統一で消滅し、その後は畑作や海運業で栄える島として歴史を刻んでいきます。
中島にある桑名神社には、40数枚の絵馬が保存されています。桑名神社の船の絵馬は文化・文政・享保など江戸時代の絵馬が主です。
船の絵馬は、忽那水軍や倭寇交易の名残りを伝えるものとも考えられ、中島諸島における海運界の往時を偲ぶばかりでなく、瀬戸内海の交通・交易研究にも欠かせない貴重品です。


大水無瀬島

大水無瀬島(おおみなせじま)は約50年前から無人島となりました。戦前は小学校の分教場があり、戦中は兵舎、戦後は復員兵の居住地となっていましたが、現在は木が生い茂っています。昔、家屋があったであろう場所には、井戸の跡や神社跡などが残っていますが、古くからの神社も宮司の方が不在のため、祭事も行うことができないという問題も抱えています。

エコツアーでは、無人島体験の一環として、原始的な植物や野鳥、火山島の溶岩塊の観察等を実施しています。



環境学習

瀬戸エコ協では、小学校を対象とした環境学習を実施しており、2015年(平成27年)からは、三原市立木原小学校の5・6年生を対象に、スナメリ・ウォッチングやニホンアワサンゴの観察を中心とした環境学習教室を実施しています。スナメリ・ウォッチングでは、瀬戸エコ協が収集・情報発信しているスナメリ目撃情報に基づき、船で対象水域に向かいます。このスナメリプロジェクトは、緑化や自然体験などの環境学習活動の実践を通じて、自然環境の保全と改善に関する子ども達の意識向上を図ることを目的とするものです。ニホンアワサンゴ観察では、水中の様子をダイバーさんに現地で撮影していただき、普段見ることができない海の中の様子やニホンアワサンゴの様子を船上モニターでお見せしています。また、無人島(鯨島)体験では多くの潮間帯生物や海辺の植物、鳥類等の観察を実施しています。